トラベルメイク株式会社駅舎写真館

●JR九州 肥薩線

真幸駅(まさきえき)

真幸
種 別 無人駅
所在地 宮崎県えびの市大字内堅947
開 業 明治44年3月11日
訪問日 平成30年6月16日

コメント

宮崎県で最初に出来た駅で、肥薩線唯一の宮崎県内の駅です。

「真の幸せに入る」に通じるとして、入場券などで人気があり、人吉駅で入場券が売られています。1日に上下10本しか止まらない山あいの無人駅は、鉄道ファンには「秘境の駅」として知られています。

この静かな駅に賑わいが訪れるのが、上下4本の観光列車が停車する約5分間。「カーン、カーン」。ホームにある「幸せの鐘」を乗客が鳴らしているのです。かつて鉄道員が安全を願い鳴らしたというこの鐘は、幸せを呼ぶ鐘として人気を集めています。その願いとは、この駅とその周辺路線が過去大きな災難に見舞われていたからです。昭和20年8月22日、多数の復員軍人を乗せた列車が吉松駅との間にある第二山の神トンネル内で立ち往生しました。その原因は空襲攻撃により鹿児島本線や日豊本線の主要橋梁が落下して肥薩線が唯一の運転ルートだったことや、戦時中の酷使による機関車の疲弊、粗悪石炭使用による馬力不足に加えて、復員軍人で満員状態だったことなどです。蒸気機関車の煙に巻かれた多くの復員軍人達がトンネル内を歩いて脱出しようとしたところ、これを知らない機関士が列車を後退させ、53名が轢死しました。この事故は観光列車「いさぶろう」「しんぺい」車内でも説明されています。尚、この事故があったあたりに復員軍人殉難碑が建っています。

昭和47年7月6日、折からの活発化していた梅雨前線によってもたらされた大雨の影響で駅の裏山斜面が8合目付近から高さ350m×幅280mにわたって崩壊し、これが土石流となって真幸駅構内と周囲の集落を飲み込み死者4名、負傷者5名のほか住家28棟、非住家29棟流失の被害を出しました。14時15分頃から5回にわたって発生した土石流の土砂は合わせて約30万m³もの膨大な量に及び、肥薩線を切断し、当駅構内を土砂で埋め尽くすと共に、白川沿いに約1.5kmの広範囲に渡って流出しました。線路と駅は復旧されたものの住居に被害を受けた世帯全戸が移転したために当駅周辺はほぼ無人地帯となってしまいました。この土石流は現在においても宮崎県最大規模のものとされています。ホームには、このとき流れ込んだ重さ約8トンの巨石がそのまま残されているほか、有人駅時代は駅員が流れ込んだ土砂を毎日整地していたとのことです。
  • 真幸

  • 真幸

  • 真幸

  • 真幸

  • 真幸

  • 真幸

  • 真幸

  • 真幸

  • 真幸

  • 真幸