駅舎写真館
●JR北海道 宗谷本線
筬島駅
(おさしまえき)
#貨車駅
#へんな駅
画像のご購入はこちら
種 別
無人駅
所在地
北海道中川郡音威子府村大字物満内小字筬島
開 業
大正11年11月8日
訪問日
平成21年8月15日
コメント
国道から逸れて天塩川を渡ったところに貨車駅はありました。
鳥や虫の声がこだましていました。なぜか駅前の通り脇に国鉄時代の駅名標が立っていて、不思議なことに平成21年訪問時は下りの隣駅名が佐久駅になっていたのに対し、平成26年訪問時は神路駅になっていました。逆なら話はわかりますが、何故、平成21年から5年の間に隣の駅名が筬島-佐久間の廃止になった駅名に変わったのでしょうか?
この「神路駅」を調べたところ、大正11年11月8日天塩線(当時)に開業し昭和60年3月14日に廃止されています。官舎も建つなど、駅を中心に人家の移動もあって集落の基礎ができました。畑があり、貨車で作物を出荷していました。地元の方のお話では田んぼは無かったとのことです。昭和37年台風9号・10号でこの周辺が被害を受け集落が集団移転することとなり、農家2戸が離農し、駅寄りに農家1戸と鉄道職員11人のみとなりました。元来渡船か鉄道のみでしかアクセスできなかったため、昭和38年5月待望の「神路大橋」が完成しました。二輪車が通れるくらいの橋梁でしたが、強風により完成後間もなく落下。これがきっかけとなり昭和40年には無住となったといいます。その後20年間廃駅を免れてきたのは、筬島―佐久間が18Kmも離れているうえ、豪雪地帯にあって、列車の安全運行上容易に廃止できなかった背景があると思われます。
元来、ここの地名は現在でも大字名となっている「物満内(ものまない)でありましたが別の名称が使われました。この経緯について「音威子府村史」では「土地の名称の物満内の予定であったが、3文字は事務上煩雑なので、筬島駅としたとある」と書いてありました。
平成21年訪問時の国鉄時代の駅名標
平成26年訪問時の国鉄時代の駅名標
宗谷本線の駅舎一覧
旭川
旭川四条
新旭川
永山
北永山
南比布
比布
北比布
蘭留
塩狩
和寒
東六線
剣淵
北剣淵
士別
下士別
多寄
瑞穂
風連
東風連
名寄
日進
北星
智恵文
智北
南美深
美深
初野
紋穂内
恩根内
豊清水
天塩川温泉
咲来
音威子府
筬島
佐久
天塩中川
歌内
問寒別
糠南
雄信内
安牛
南幌延
上幌延
幌延
下沼
豊富
徳満
兜沼
勇知
抜海
南稚内
稚内
鳥や虫の声がこだましていました。なぜか駅前の通り脇に国鉄時代の駅名標が立っていて、不思議なことに平成21年訪問時は下りの隣駅名が佐久駅になっていたのに対し、平成26年訪問時は神路駅になっていました。逆なら話はわかりますが、何故、平成21年から5年の間に隣の駅名が筬島-佐久間の廃止になった駅名に変わったのでしょうか?
この「神路駅」を調べたところ、大正11年11月8日天塩線(当時)に開業し昭和60年3月14日に廃止されています。官舎も建つなど、駅を中心に人家の移動もあって集落の基礎ができました。畑があり、貨車で作物を出荷していました。地元の方のお話では田んぼは無かったとのことです。昭和37年台風9号・10号でこの周辺が被害を受け集落が集団移転することとなり、農家2戸が離農し、駅寄りに農家1戸と鉄道職員11人のみとなりました。元来渡船か鉄道のみでしかアクセスできなかったため、昭和38年5月待望の「神路大橋」が完成しました。二輪車が通れるくらいの橋梁でしたが、強風により完成後間もなく落下。これがきっかけとなり昭和40年には無住となったといいます。その後20年間廃駅を免れてきたのは、筬島―佐久間が18Kmも離れているうえ、豪雪地帯にあって、列車の安全運行上容易に廃止できなかった背景があると思われます。
元来、ここの地名は現在でも大字名となっている「物満内(ものまない)でありましたが別の名称が使われました。この経緯について「音威子府村史」では「土地の名称の物満内の予定であったが、3文字は事務上煩雑なので、筬島駅としたとある」と書いてありました。